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第6章 奇術とSF


 前章では、奇術と映画のあいだに、性質・構造のみならず歴史的にも直接の影響関係があることを紹介してきた。
 そのなかで、とくに映画と奇術を橋渡しするものとして、いわゆる特殊撮影技術、編集や操作によるトリッキーな視覚効果を導入した作品が、劇映画の創始者メリエスの手によって、きわめて早い段階から発生していたことも述べた。
 そしてその際、特撮技術を用いた作品のはしりに『月世界旅行』(前章参考)があるという事にも触れている。
 ジュール・ベルヌによる原作小説は、現在でいうところのSF(1)の祖型であり、その映画化作品である『月世界旅行』はSF映画の第1号と呼ぶべきものであった。
 つまり、奇術と映画の歴史的関係について述べることは、奇術と(トリック使用の具体例としての)SF映画について語ることでもある。
 そこで、奇術と映画のつながりについては前章をみるとして、SFというジャンルそのものについても考えておきたい。つまり奇術から見たSFの特質……SFの奇術性の考察である。


SFの奇術性――センス・オブ・ワンダー(驚異の感覚)

 世界最初のSF専門作家として名を馳せたジュール・ベルヌ、また英語圏初のメジャーSF作家、H.G.ウェルズが広く受け入れられたのは、科学に立脚した技術とそれによって可能となる世界の広がりの紹介が、19世紀末から20世紀初頭にかけての当時の大衆の目にきわめて魅力的に映ったためであった。
 そこには時代の節目を越えた新しい世界、異なる世界の在り方の洗礼を受けた者が感じる驚きが存在した。
 後のSF界では、それはSF精神の重要な根幹として「センス・オブ・ワンダー」という名で呼ばれることになる。その名の通り、驚異の感覚である。しかもそれはフィクション小説という、物語の享受者の安全が保証されている健全な驚異であった。つまり、奇術にとって必要不可欠な成立条件のひとつ、「安全な驚き」が、そこにあったのだ。
 そしれこれが、概念としての奇術を考えた場合、SFを奇術的なものと見なせる理由でもある。
 このSF作品が奇術性を発揮する要因である「驚異の感覚」は、劇要素の視点から見た場合、以下のように分類される。

1. ガジェット(装置、仕掛け)の使用
 人知を越えた現象を起こす、もしくはそうした能力を人間に付与するアイテムの使用は、SFの奇術性の中でも最もわかりやすいあらわれである。
 物体や人間の瞬間移動、空中浮遊を可能にする乗り物、巨大化と縮小、破壊と修復。生き死にへの干渉。動物の知能増進。機械を用いた読心術。炎、氷、銃弾さえも跳ね返す超人的肉体への改造……
 とくに娯楽性を追求する作品ほど、魅力的かつ驚くべきガジェットを登場させようとアイデアを振り絞る。そしてそれらが常に「科学的根拠」という、合理的過程を前提としている点で、奇術的なのである(もちろん、実際の科学からすると的はずれであってもかまわない。ようは劇中で破綻がなければ良いのだ)。

2.登場人物のキャラクター造形
 良し悪しの議論はあるが、SFにおける「科学者」、ことにいわゆる「マッド・サイエンティスト」がかつての「魔法使い」の現代版として登場する傾向は、現在もなお継承されている。
 これまで本論文では奇術師のまとうイメージが、「常識」=「世界を説明することば」を占有する権威の移り変わり(宗教→科学)に合わせて衣替えをしてきたことを幾度か述べているが、これは科学という思想体系の影響をダイレクトに被るSFを見ると分かりやすい。
 SFにおいて「科学者」は人々を啓蒙する司祭であり、複雑高度な呪文(最新の理論、数式)を駆使して超・常識的現象を提示する魔法使いなのである。しかもSFの場合、その啓蒙性ゆえに「科学使い」たちは驚異的発明や現象のタネ(合理的根拠)を常に明らかにしてくれる親切な存在でもある(2)――例えそれが実際の科学から見て多少の無茶や飛躍があるにしても。

3.世界観;舞台設定やシチュエーション
 「奇術」ショーのきわめて重要な機能のひとつとして、観客を(一時的に)日常から離れた異世界へと出かけさせ、その不可思議な領域の出来事をかいま見させるというものがある。
 もともと表現芸術はどれもそうした異界体験機能を備えているが、SFをはじめとする広義のファンタジーは、それを強烈に特化させたジャンルとして展開している。
 「遠い遠い昔、遙か銀河の彼方で」という『スターウォーズ』の有名な導入ナレーションは、我々を「いま、こことはちがう境地」へと誘う奇術芸人の前口上なのである。

4.プロット、物語の展開
 これはそのままの意味である。
 意表をつく展開や、予想を裏切るどんでん返しといったものは、SFというより物語作品全般に通じる「奇術的」テクニックである。
 SFに限っていえば、フィリップ・K・ディック(3)がその好例となろう。彼は数多くの長編・短編において、主観と客観の絶望的な不一致を利用したオチを使って読者を幾度となく驚かせた。哲学的な考察も必要だが、純粋に.アクロバティックな文章芸としてのおもしろさにおいて、ディックのSF小説は「奇術」的である。

まとめ

 以上、「SF」をセンス・オブ・ワンダーという性質を軸に「奇術的なもの」としてとらえる視点を紹介してみた。
 注意すべき事としては、現在では科学万能主義への反省、2度にわたる世界大戦とその後の米ソ対立などの影響で、SFが空想科学小説(サイエンス・フィクション)だけでなく哲学的な思弁小説(スペキュレイティブ・フィクション)の色彩をも帯びるになったため、SF界の全作品を無邪気に「センス・オブ・ワンダー」で説明するわけにもいかない状況がある。
 ただ、それでもなお、ジュール・ベルヌやウェルズが披露した驚異感覚……本論文に沿っていうなら「奇術性」というべきものは、SF世界の出発点、また背景として絶えることなく受け継がれている。そこに奇術的娯楽の根強さがうかがえる。
 評者からはいささかの批判を喰らうほどに科学の復権をうたいあげる作風で知られるJ.P.ホーガン(4)などは、そうしたセンス・オブ・ワンダーを真正面から後継する者のひとりとして名を挙げられよう。なんといっても、彼の小説に登場する科学者や奇術師――厳密には奇術の素養があるペテン師――のなかには、異星の知的生命体すら啓蒙してしまう連中までいるのだ。



 
(1) サイエンス・フィクション。ここではSFという概念を、「神話→妖精物語→幻想物語という文学の流れの継承者である表現芸術の一領域の呼称であり、科学的事象を(その作品内では破綻のないよう)前面もしくは背景に登場させることで補強される、フィクション・ストーリーである」と、一応の定義をしておく。

(2) しかしその科学的説明そのものが難解すぎて多くの読者(観客)に呪文めいた印象を与える事もある。『2001年 宇宙の旅』の原作などで知られるアーサー・C・クラークに言わせると、「十分に発達した技術は魔術と区別できない」のだ。いま現在すでに我々の周りには、ふだん意識を透過しているがふと考えればブラックボックスになっている技術の産物が溢れている。日ごろ自分が使用している全ての電化製品について余すところなく説明できる人間、説明されて即座に理解できる人間がどれだけいるだろうか。そして古代社会では、そうした一握りの「知られざる知の所有者」を「魔法使い」と呼んでいたのではなかったろうか。

(3) フィリップ・K・ディック Philip Kindred Dick (1928-1982)
米国のSF小説家。精巧なシュミラクラを好んで題材とし、自我の危機や主観的現実感のもろさを訴える作品を多く執筆した。映画『ブレードランナー』の原作小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の作者として有名。最近では「少数報告」をスティーブン・スピルバーグ監督が、「報酬」をジョン・ウー監督が映画化している。

(4) ジェイムズ・P・ホーガン James P. Hogan
1941年6月27日ロンドン生まれ。少年時代、両脚の障害から14歳まで入院手術を繰り返し、このころ、もっぱら読書に親しんだ。ITTからDECのセールスマンとなるが1975年処女作『星を継ぐもの』脱稿。ハードSFの大家となる。


 
前川道介 『アブラカダブラ奇術の世界史』 白水社 1992年
『TSUTAYA CLUB シネマハンドブック洋画編』 カルチュア・コンビニエンス・クラブ 1999年
ピーター・ニコルズ 『科学 in SF』 東京書籍 1982年

序章
   
第一部 奇術概史
     1.
西洋編 2.日本編
   
第二部 奇術を構成する諸要素とその性質
     1.
奇術の成立条件について 2.奇術の公開性について 3.奇術における動物の使用
   
第三部 奇術と近接概念との比較
     1.
奇術とサギ・ペテンの相違 2.奇術における「魔女」の不在 3.奇術としての探偵小説
     4.
奇術と超能力 5.メリエス ―奇術としての映画の創始者 6.奇術とSF
   
終章

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