本論文は「奇術」ということばを改めて検討するという目的にあたって、まず「奇術とは、合理的手段によって不合理的に見える現象を観客に提示する娯楽芸能と、その技術体系である」という定義を採用している。
この定義に立てば、「奇術」は単なる一つの演芸分野を指す限定的な名称ではなく、成立要件を満たす様々な存在を包括する広い概念としてとらえられる。そのため、かならずしも現象が実在の世界で展開される事にこだわる必要はなく、文字や映像を媒体としたフィクション上の「奇術」の存在を認めることも可能となってくる。
たとえば、フィクション上の「奇術」の端的かつ具体的なケースとして、ポオ(1)の『モルグ街の殺人』(1841)以降に発展した、探偵(の機能を持つ人物)による謎解きを中心に置く文芸作品が挙げられよう(ミステリ、パズルストーリー、探偵小説、推理小説など呼び方は様々だが、その詳細な区分はあまりに恣意的でそれ自体ひとつの研究となってしまうので、本章では探偵小説と総称する)。
巧妙なトリックを用いて人々の目をあざむく犯罪者、それに対決するため常人の域を超えた知性や推理力を発揮する探偵、引いて言えばそういったアイデアを繰り出す作家そのものに対して我々が受ける知的衝撃には、奇術師にその奇術を見せつけられたときの、あの驚きと共通する面があるとはいえないだろうか? シャーロック・ホームズが初対面の人間の細かな経歴をいきなり言い当ててみせる芸当に対して、ワトスン博士が「一体どうしてそんなことが分かったんだい?」と驚く光景には、魔術を目の当たりにした人間の反応をうかがうことができないだろうか?
さらにいえば、ホームズ──つまりは探偵──の推理や犯人の使用するトリックは、鮮やかで魔術的ではあるが魔術そのものではない点がきわめて重要である。そこには、不可思議に見える結果を支える合理的な過程が存在しているからだ。
本章では、そういった探偵小説が内包する性質を、奇術の視点から解釈可能な構造の生むものとしてとらえなおしながら、考えてみたいと思う。
なお、ここではいわゆる「本格もの」の探偵小説を念頭に置いているため、「倒叙もの」などのバリエーションについてはまた別途の分析が必要となる点もあるかもしれない(2)。
探偵小説の奇術的構造
奇術のみならず、あらゆる娯楽芸能に不可欠な人的構成要素として、「演者」と「観客」の存在が指摘できる。
探偵小説の内部世界をひとつの劇場、舞台に見立てたとき、まず最初に「演者」すなわち奇術師となってふるまうのが、犯人である。
そこで彼もしくは彼女は、なにがしかの犯罪事件という演目を、トリックを用いて不思議な現象に仕上げつつ観客を驚かせなければならない。四方を壁に囲まれた窓のない密室で人の出入りがないのに他殺事件が発生する、容疑者全員のアリバイが成立する、大勢の人間の目の前で死体が消え失せる、万全完璧なはずの厳重な警備を出し抜いて宝石が盗まれる――これらは、物語の中で「ありえないのに起こってしまった」不合理な出来事として観客に提示される奇術現象である。
探偵小説において、しばしば犯人役のキャラクターが一種の怪人として描写されるのは、そうした不可解な事件を引き起こす人間が、我々の日常とは異質な領域に属する超常能力の持ち主、魔術師、そしてそれを演じる奇術師としての役割を持つことに基づく必然的な演出といえる。もちろん、いま現在では古典へのオマージュでなしに正面きってアルセーヌ・ルパンやら怪人二十面相やら黄金仮面(3)のような通俗的キャラクターを使う事は少ないにせよ、「怪人」型の犯罪者がもつ存在そのものの超自然的フリークス性は、程度が強か弱かというだけで、いまだ継承されつづけている。
次に、探偵小説にはもうひとりの「奇術師」がいることも忘れてはならない。それは他ならぬ探偵その人である。
トリックを用いてめくらましを行う犯罪者の奇術性は上述したとおりであるが、周囲の人間には理解不能なまでの高度な推理力でそのトリックを暴いてみせる探偵は、敵対する奇術師の演目のタネを見破るもうひとりの奇術師である。ホームズはワトスン博士や数々の依頼人たちを驚かせてきた。「一体どうしてそんなことが分かったんだい?」という叫びは、千里眼や予言者に相対した常人の反応である。読者を含めて何も知らない凡人にすれば、探偵の予想外の(それでいて的確な)言動もまた魔術の一種になる。
ただし、探偵はそのあとで結論へ至る過程に確たる論理、合理性がある事を証明し、またトリックの暴露によって犯人が起こした「ありえないこと」の裏に働く合理性をも示してみせる。この点が、不可思議な現象の提示で終了する実在の芸能奇術との大きな相違であることを注意しておきたい。この問題についての考察は後述する。
また、人物造形の面でも、名探偵といわれる探偵小説の主人公は怪人型の犯罪者に負けず劣らず奇癖を持っている場合が多いが、それもやはり魔法使いであるがゆえの必然的な装いなのである。
では、犯罪者と探偵という二人の「演者」(=奇術師)の芸を見て驚く「観客」とは、誰か。
当然、最終的な物語の享受者であるわれわれ読者自身が「観客」である。ただし探偵小説世界では、読者をそのままの形で観客にはせずに、特定の登場人物の一人称に感情移入させることで観客の気分をより臨場的に盛り上げる手法が多く使われる。
古典を例に取ると、オーギュスト・デュパン(4)に対する「私」、シャーロック・ホームズに対するワトスン医師、エルキュール・ポワロに対するヘイスティングズ大尉といったように、探偵当人ではなくその友人の手記という形態が主に用いられているのは、けっして手法選択上の気まぐれではない。探偵の助手となる人物(いわゆるワトスン型キャラクター)は、劇中で起こる奇術的現象に驚く「観客」の役割を演じているのであり、それは我々読者の分身なのである。
加えて、読者の分身たる彼ら探偵物語の語り部たちに凡庸かつ当時一般的、平均的な人物が多いのも、けっして彼らを名探偵の引き立て役におとしめるためではない。彼らは観客として「驚かなければならない」義務を負っている重要なドラマ要素であり、そのためには徹底して目の前の現象に対して素朴な受け取り方をする必要が生じるのである。
奇術との相違点
ここで、先に触れた「もうひとりの奇術師」としての探偵の機能について考えることで、実在の奇術と探偵小説との最大の相違であるタネあかしについて考えてみたい。
探偵役のキャラクターが読者(最終的な「観客」)に対して果たすべき責務は、一見して不可解に思える謎や怪奇の背後に潜む合理性を暴き出してみせることにある。既に述べたが、探偵はその知性と推理でトリックを説明し、そこへ至る過程には論理と合理性があることを証明する存在である。事件のクライマックスで関係者をいちどうに集めて自信満々に謎解きを始める探偵は、そうした場面を介して読者、観客への解説を行っているのである。そして、古典以来の本格探偵小説では、そのタネあかしこそが読者の最大の楽しみとなるのである。
では、なぜ、そうなのか。なぜ、実在の奇術と違ってタネあかしが行われるのか。
これは、奇術現象の発生する舞台の違いからひとつの解釈が可能となる。
我々の実在世界で行われる奇術は、まず異空間・非日常世界が形成されているところへ、我々が自ら足を踏み出してちょっとした現実忘却を楽しみに出かける場所で行われる。具体的には、たとえば「劇場の中に入って」奇術を観覧する、といったふうである。そこでは、信じられないような現象が次々と起こって我々を心底から驚かせるものの、それはあくまでも我々の日常とは別次元にある隔絶された異空間での出来事であり、夢が終わればまた日常へと帰還することができる。つまり、帰るべき日常(常識・秩序)は確保されている、「安全な驚き」なのである。安全性が保証されているから、どんなことが起こっても娯楽になるのである。
いっぽう探偵小説は、日常世界の内で発生する非日常的事件を取り扱っている。物語のなかで、犯罪者はトリックを使って、殺人、盗難、誘拐、失踪――などの、社会に実際的な影響、被害を及ぼす出来事を謎と幻想で埋め尽くしてしまおうとする。
人殺しが起こったのに、犯人が消えた。証拠も見つからない。全てが消失した。謎、謎、謎。そこで世界の常識・秩序は危機にさらされる。人々は日常にいながらにして超常的な驚きを味わうことになる。つまり、安全性の保証されていない驚きが生じるのである。やがて驚異は脅威へと転じ、そのままでは人々の世界は崩壊することになる。
そこで、人々は探偵を求める。危機にさらされた常識、世界の合理性、自分たちの日常の安全をとりもどすための存在を必要とするのである。魔術に対抗できるのは誰か。もちろん、同じ魔術の使い手――ただし、自分たちの味方の。それが、奇術の立場からとらえた探偵小説の中の探偵の位置づけである。換言すれば、ここでいう探偵とは、世界の論理性、合理性を証明することで非日常を日常へ組み込む、バランス回復装置だと表現することもできるだろう。
さらにいうと、読者にとって探偵小説の謎解き(タネあかし)が娯楽性につながるのは、いったん自分たちを精神的危機に陥れた不可思議な現象を、真相(論理的、合理的な)を知ることによって打ち破るという、一種の知的征服欲が満たされるためではないかと思われる。これは実在の奇術においても、観客の中に時としてただ演目を観るだけではなく、タネあかしまでも求める心理が生まれる事へのひとつの説明となるかもしれない。
また、探偵小説の合理主義的性質を、このジャンルの初期の発展の土壌となった19世紀以降の西欧社会の近代化とあわせて考えるのも興味深いが、奇術とは直接関連のない方向に進むことになるので、ここで本章を終えることにする。

(1) エドガー・アラン・ポオ
Poe,Edgar Allan(1809−1849)
アメリカ合衆国ボストン出身の小説家にして詩人、雑誌記者。色濃いグロテスクとアラベスク、かつ近代的理知を兼ね備えた小説や詩を書いたが、アルコール中毒で死亡。探偵小説の祖とされる。代表作は『アッシャー館の崩壊』『黄金虫』、詩集『大鴉』。
(2) 「本格もの」は探偵役が様々な証拠をもとにしてはじめは不明である犯人を当てていくという謎解きの形式。「倒叙もの」ははじめから犯人が読者に対して明らかになっており、探偵がいかに解決するかを楽しむ形式。
(3) 二十面相、黄金仮面はどちらも昭和前期の日本推理小説の確立者・江戸川乱歩による名探偵明智小五郎シリーズに登場した怪人的犯罪者。とくに二十面相は明智探偵の宿敵として複数の作品に登場。
(4) オーギュスト・デュパン
Monsieur
C. Auguste Dupin
ポオが創作した、文芸史上初の探偵役。『モルグ街の殺人』『盗まれた手紙』『マリー・ロジェの謎』等に登場。

江戸川乱歩 『黄金仮面』 角川書店(角川文庫) 1987年
『人名小辞典』 新興出版社・啓林館 1962
アガサ・クリスティ 『ABC殺人事件』 早川書房(ハヤカワ文庫) 1991年
エラリー・クイーン他 『シャーロック・ホームズを読む 推理小説へのパスポート』 講談社 1981年
コナン・ドイル 『シャーロック・ホームズの事件簿』 新潮社(新潮文庫) 1991年
コナン・ドイル 『シャーロック・ホームズの冒険』 新潮社(新潮文庫) 1991年
|