第1章 西洋編


 まずは、われわれがふつう「奇術」「マジック」と云われてまっさきに思い浮かべる、商業・芸能としての奇術の歴史からはじめてみよう。
 現在の業界の主流である西洋型の奇術は人類文化とともに由来が古く、これを魔術妖術との関わりが密接であった時期までさかのぼれば、およそ4000年から5000年近くに及ぶ歴史の蓄積があると考えられる。
 本編ではそこから出発して、奇術史を「前史時代」「停滞期」「黄金期」「現代」と大きく4つのステージに分けて概説している。これを順に追うことで、芸能奇術の成り立ちと近代化への道を紹介する、導入部としたい。
 なお、我らが国内にも独自に奇術の歴史と呼ぶべきものが存在しており、そちらについてはまた別途の解説が必要となるので、次章に日本編を用意している。


前史時代

 文献として確認できる最古の「マジシャン」たちは、紀元前17世紀から16世紀にエジプトで書かれた『ウェストカー・パピルス』(1)に登場している。同文献は退屈するクフ王に彼の王子たちが数人の魔術師たちが起こした奇跡の話を聞かせて楽しませるといった内容になっており、最後にクフ王の前に連れてこられたデディという老人が術を実演してみせるくだりには、いまも広く行われているマジックの原型が見て取れる。
 奇術は無数の演目から構成されるので特定の発祥地を問うことは難しいのだが、少なくとも物品のすり替えや切断-結着といった芸については、文明の発生順を考慮したうえで『ウェストカー・パピルス』を始めいくつかの資料から判断して、中近東が起源とみられる。

 また、対人用トリックを使う行動は、かなり早くから「共同体内での権威を補強するための超常能力」と「エンターテインメントとしてのマジック」に分岐して平行展開していた点に注意が必要である。
 権威補助としての超常能力は、例えば神殿における聖職者の予言・神託・透視などの形で実行されたが、その殆どは専門知識や非公開のネットワークを駆使した、情報の独占利用に支えられるものであった。紀元前6世紀、リディアのクロイソス王(前560-546)は、遠隔地の出来事を正確に見通したデルフォイ神殿の神官の千里眼に感動したという。千里眼の真偽は不明だが、なんにしてもクロイソス王が「各地の神殿が伝書鳩によって情報伝達網を構築しているかもしれない」という可能性を思いつかなかった事だけは確かだろう(2)
 古代の純粋娯楽芸としてのマジックでは、「カップ&ボール」が代表格である。これは3個のカップ(あるいは貝殻)の下に玉(豆や小石)を入れ、鮮やかな手さばきでそれを消したり出したり、いつの間にか玉が大きくなったり小さくなったりと変幻自在な伝統的奇術である。文献では、2世紀ギリシャに詩人アルキフロン(3)が街頭でこの「カップ&ボール」を鑑賞した時の様子を詳しく記述している。
 また、この芸はどのカップに玉が入っているかを当てさせる遊びとしても重宝され、賭博の歴史を考える際にも重要な古典遊戯である。

停滞期

 時代を中世に移すと、西洋各国の奇術師たちには飛躍を許されない苦しい状況が訪れた。演出として基本的に「魔法使い」のイメージを利用する彼らは、キリスト教の発展にともなって、宗教的に道を踏み外さない(=異端視されない)よう努めなければならなくなったのである。したがって技術的な萎縮が生じて、イノベーションどころか既存の芸の保持伝承がやっという停滞の時期が訪れた。
 宗教裁判で無辜の奇術師が犠牲になるケースもあり、16世紀の英国では、奇術が悪魔の業ではないことを主張するための、いわば奇術弁護を目的とした解説書が必要とされたほどであった(結果的にこれが英語圏初の奇術文献となる)。このあたりの事情は第二部第2章「奇術の公開性について」で述べることにする。

黄金期

 もともと大道芸のサブセットであった芸能奇術は、17〜18世紀に小屋掛けの舞台ショーへと移行したが、その内容は19世紀前半までずっと旧態依然とした黒魔術的な演出を主としており、全体としての硬直は続いていた。
 しかし、19世紀中葉に至って、とうとう停滞期が突破された。そのきっかけは、当時フランスに登場した、ひとりの奇術師の活躍であった。
 そのマジシャンの名はロベール=ウーダン(1805-1871)。奇術界に斬新な演出革新をもたらし、後に近代奇術の父と呼ばれる人物である。
 ウーダンの最大の功績は、中世までオカルティズムの色濃い、おどろおどろしい演出ばかりだった奇術の装いを、洗練された明るい健全娯楽芸能へと解放した点にある。昔ながらのマントをまとって円錐帽、長いヒゲを付けて魔術杖を振りかざしていた奇術師たちは、ウーダンの影響を受け、新興市民の礼装であるフロック・コートで身を固めるようになった。我々が典型的なマジシャンの格好として思い浮かべる「紳士型」のスタイルは、このウーダンという奇術師によって普及したのである。
 以降、舞台芸能として発展する西洋奇術は、やがて中心地をフランスからイギリスへと移した。ロンドンにおいて異国趣味のメッカとして名を馳せたエジプシャン・ホールでは、奇術の歴史に名を残すショーが数々上演されては観客を楽しませた(4)。自称中国人マジシャンや自称イスラム教徒マジシャンが多く現れたのも、この時期である(そしてその大抵が白人の扮装だった)。
 これが、現代のショービジネスとしての奇術の地ならしをした、近代奇術の黄金期である。

現代

 現代までの奇術は、ウーダン級の急激な転換こそないものの、業界のありようには段階的に大きな変容が起きている。
 はじめに、20世紀に入ると奇術関連の技術解説本がさかんに出版されるようになって、趣味として自らもマジックを使えるようになりたいと望むアマチュア奇術ファンが勢いよく増加した。奇術に関わる人々のかたちが「商業プロ、さもなくば観客」と明確に分離していた時代は過去のものとなり、演者と観客の間に、自ら実践するアマチュア、技術的には上級のセミプロなどの層が形成されるようになったのである。
 次に、トーキー映画の時代がやってくると、観客が奇術劇場から離れてしまい、やむをえず舞台を変えざるを得ない奇術師も出てきた。彼らは主にナイトクラブ等へ出て活動した。
 廃れかけた舞台奇術が、ロック・ミュージックとダンスを取り込んだ新しいかたちで復活したのは70年代になってからである。ダグ・ヘニングという奇術師が開発したこのスタイルはブロードウェイで好評を集め、それ以降の奇術界を一定の方向に導いた意味で重要な起点となった。
 それを受けた80年代、90年代には、奇術師のスタイルは、ウーダン以降の「近代紳士型」と、例えばデビッド・カッパーフィールドに代表されるような「現代的スター型」に分かれるようになった。
 21世紀に入った現在、奇術界の演出はマジシャンそれぞれに多様化され尽くし、色彩的には無国籍化もしくは多国籍化がさらに進んでいる。スタイルの選択肢としては、ロック・コンサート、ダンスショー、ミュージカル、サーカスそのほかありとあらゆる要素が採用可能であり、今後はよほどの爆発力があるマジシャンが登場しない限り、特定の方向性が奇術界全体を一度に動かすことはなさそうである。



  
(1) ウェストカー・パピルス Papyrus Westcar
エジプトの中王国時代(前2040-1663)に書かれたパピルス文書。内容は第4王朝(前2600年ごろ)の逸話で、クフ王がピラミッド築造のために知恵神トトの聖なる呪文を手に入れる物語。神々が第5王朝を承認する経緯を描くという、王権正当化の狙いも見られる。

(2) 伝書鳩は古くから高速通信の担い手であった。優れたものなら時速90マイル(144キロ)に達するものもある。

(3) アルキフロン Alkiphron
2世紀ギリシアの喜劇詩人。遊女をはじめ平民たちの登場する架空文集を創作した。

(4) 鏡仕掛けで幽霊を出現させる「ペッパーの幽霊」(1863)、卓上の生首がしゃべる「スフィンクス」(1865)、人間に布を被せて取ると姿が消える「バニシング・レディ」(1886)、奇術師マスキリンによる空中浮揚術(1867)などが特に評判を呼んだ。エジプシャン・ホールについては第三部第5章注1を参照のこと。


  
前川道介 『アブラカダブラ奇術の世界史』 白水社 1992年
松田道弘 『超能力のトリック』 講談社(講談社現代新書) 1985年
松田道弘 『世界のマジシャン・フーズフー』 東京堂出版 1995年
Peter James&Nick Thorpe,ANCIENT INVENTIONS,Michael O'Mara Books Limited,1995

序章
   
第一部 奇術概史
     
1.西洋編 2.日本編
   
第二部 奇術を構成する諸要素とその性質
     1.
奇術の成立条件について 2.奇術の公開性について 3.奇術における動物の使用
   
第三部 奇術と近接概念との比較
     1.
奇術とサギ・ペテンの相違 2.奇術における「魔女」の不在 3.奇術としての探偵小説
     4.
奇術と超能力 5.メリエス ―奇術としての映画の創始者 6.奇術とSF
   
終章

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