本論文を展開していくにあたって、まず必要なのは「奇術」という語の曖昧さを意識することである。
 多くの言語圏(英語・独語・仏語・中国語圏など)において、日本語の「奇術」にあたる語は「マジック magic」に代表される魔術・妖術系か、「スライ・オブ・ハンド sleight of hand」のような手練技・手品系かに二大別される。細かいところでは独語の「タッシェンシュピーラー Taschenspieler」(袋にタネを仕掛けている演技者の意)のように奇術師の服装や行動を形容する語もあるが、これも手品系表現とみなせるだろう。

 ひるがえって「奇術」について考えてみると、このように魔術系・手品系の両方を広く包括する総合的な概念はきわめて珍しく、またそれだけにひどく曖昧なとらえられ方をしたまま、我々の日常のなかに浸透している。テクニックに関してならば、技術解説書を探すなどして情報にアクセスすることが可能であるし、また実際に、身の回りでちょっとした手品を演じてもらうか自らが演じてみる機会も珍しくないであろう。
 だが、それはあくまでも「いかに行うか」という実践の場であって、「それが何か」を問う考察の場とはなりづらい。魔術との未分化時代を含めると4000年を越える歴史を持ち、誰もがその存在を知っていながら、ではそれが何なのかという所まで踏み込む機会は、非常に乏しいのが「奇術」の実情である。奇術、マジックとよく口に出しよく耳にするけれど、その単語が実際に指し示す世界の広がりは曖昧にされたまま、いつも我々の生活の内をふわふわと漂っている。

 しかし、曖昧であることは、多様な文化的意味づけや考察、解釈の土台となる豊饒な可能性を持っているとも換言でき、ひとつの研究対象としてひじょうに魅力的だ。
 そこで本論文では「奇術」という語を特定のショー・ビジネス分野の名称を越えた、一種の概念としてとらえなおすことを試みたいのである。具体的には、以下のふたつの作業が中心内容となる。
 
  1. 「奇術」という概念の性質および構成要素を分析する 
  2. 「奇術」という概念を軸に、これまで異分野とされてきた事象を「奇術的なもの」として関係づける

 1.は、準備段階といえる。
 くだいて言えば、本論文で「奇術」と呼ぶのはこういうものだと説明し、足場を固めるのである。
 まずは最も一般的で分かりやすい意味での「奇術」すなわち商業・芸能としてのマジックの歴史を概説し、次いで本論の定義によって「奇術」と呼びうるものを構成する諸々の要素を挙げる。内向きの分析である。
 なお、本論文における「奇術」の定義とは、すなわち

「合理的手段によって非合理的に見える現象を観客に提示する娯楽芸とその技術体系」

という捉え方であり、この性質を持っているか否かが、続く作業2.の主題となる。

 そして、この2.が本論文の最重要部分といえる。
 定義を行うということは、当てはまるものを全て同じ土俵に上げて語り得るということである。従って普段の意識で我々がダイレクトに「奇術」とは呼ばないような、例えば探偵小説、映画、SFといった他ジャンルをも「奇術」という言葉で密接に結びつけられるのであり、この作業こそが、「奇術」という語の概念的な把握なのである。
 なお、隣接的な概念との比較のなかでは、逆に、一見すると近そうな存在……だましの技術を扱う詐欺・ペテンや、魔法に携わる「魔女」など……が、実のところ「奇術」からは明確に峻別すべきであるという事や、なぜそうしなければならないのかという理由・事情についても述べることにする。

 以上の作業を通じて、最終的には本論文が「奇術」を持ちえた我々人間の精神的な能力について考える機会を提供できれば、幸いである。

序章
   
第一部 奇術概史
     1.
西洋編 2.日本編
   
第二部 奇術を構成する諸要素とその性質
     1.
奇術の成立条件について 2.奇術の公開性について 3.奇術における動物の使用
   
第三部 奇術と近接概念との比較
     1.
奇術とサギ・ペテンの相違 2.奇術における「魔女」の不在 3.奇術としての探偵小説
     4.
奇術と超能力 5.メリエス ―奇術としての映画の創始者 6.奇術とSF
   
終章

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